いつでも思考はマリアナ海溝

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未来の選択と生まれた環境

 才能より努力、努力より継続と人は言う。けれどそれは本当だろうか?天才に努力や継続で打ち勝つことが本当にできるのだろうか。私は出来る気がしない。できないと思ってしまう。

 では例えを出して考えてみようと思う。

 

才能と努力の因果関係

 人の才能を1から10であらわす。そしてできる努力量も同じように1から10であらわす。才能も努力も最大で10までしかない。2つをかけ合わせた最小は0で、最大は20となる。

 例えばAという人間に数学の才能が5ある、Bという人間には才能が3ある。Bは才能だけでは勝てない。でもBが努力を3行うことによって、結果は6。Aに勝つことができる。ここだけ見れば、才能に勝つことができるように見える。

 でもAもBも努力を10した結果、勝つのはAだ。才能の部分はどうしても変えられない。

 

誰も勝てない才能ある人間

 政治や経営などはこれに当てはまらない場合がある。でも一芸などは特に才能に頼ることになる。どうしたって絵の才能でピカソには誰も勝てない。ピカソの絵は子供っぽいと特殊な教養が無いと思ってしまう。でもピカソは人間印刷機みたいなものだ。見た絵を一瞬で複製させてしまう。

 それにレオナルド・ダ・ヴィンチの頭脳には誰も勝てない。万能の天才だ。きっと彼のような人間はもう二度と生まれてこないであろう。

 

 少しわかりにくい例えをしてしまった。誰にでもわかりやすい例えをするとすれば、宮崎駿。色々と物語を改変しまくっている改変王で、小説好きからは反感を買っているかもしれないが、すべて面白いのは確かだ。

 誰も世界中の監督だって、宮崎駿には勝てないのだ。あのスピルバーグ監督が『私はカーチェイスは撮らない。宮崎駿に勝てないからだ』と言わしめた。あの宮崎駿初監督作品であるカリオストロの城のカーチェイスほどの物を撮ることができないと言ったのだ。

 

 それも初監督の作品に勝てないのだ。これは宮崎駿の才能以外の何物でもない。

 

 

才能の種類

 とはいっても先ほどの人たちは分かりやすい才能のある人たちで。才能には様々なものがある。先ほどの人たちは一芸に秀でている。ヒトラーは話術に長けている。楊貴妃オードリー・ヘップバーンは容姿が良いという才能だ。あとは運という才能なんかもある。なぜだかすべてうまくいく人間。

 私は好きなことに集中できるという才能があると思う。これはアスペルガー症候群の性質の一部だと思うが、このおかげで好きなことにとことん集中できる。今こうやって文字を書き続けられているのもそういうものなのではないかと思っている。

 

 こうやって人は人は時に私のように才能で悩み、才能がある人間を羨み嫉妬する。でも才能があるからと言ってすべてうまくいくわけではない。ピカソは上手い絵しか描けなかったために、子供の描くぐちゃぐちゃで秩序のない絵がずっと羨ましかった。オードリー・ヘップバーンは美人だからという理由で石を投げつけられた。理論物理学の才能があったオッペンハイマーは、原爆を作り後悔の涙を流した。

 

 才能があればと羨むこともあるが、本当に才能がある人間は凡人に憧れている。どれが幸せで、不幸かは分からないが、抜群の才能があることによって未来が決められてしまうというのも悲しい物だと私は思う。そう思うと、医者の子供や政治家の子供も似たようなものだ。

 安全で平穏で他の家よりも生活水準が高いが、将来は狭められている。イラストレーターになりたい!なんて軽々しく言えないだろう。だから私は適度に才能がある凡人で、普通の家庭に生まれたことにつくづく感謝している。